僕とおじいちゃんと魔法の塔6巻を読みました

 香月日輪によるライトノベル僕とおじいちゃんと魔法の塔6巻を読みました。
この巻では、高校2年生になった龍神たちの修学旅行が舞台になっており、学生らしい旅情あふれる描写や妖怪アパートの幽雅な日常でもおなじみの読み進めると思わずお腹が鳴る料理の描写が素晴らしかったです。
 ただ、物語のテーマはどちらかというと、そんな一度しかない学生生活を楽しめず拗ねてしまった子供がメインでした。
ただこの作品が非凡なのはそういう拗ねてしまった子たちに向けた話ではなかった点だと思います。
 この辺りを勘違いすると、物凄く説教臭くなったり、また安易な話だなあとなってしまうのですが、この巻は「拗ねてしまった人が身近に居るせいで、楽しめない状況になってしまっている素直な人達」に向けた作品で、しかもその答えが「無理してつまんない奴とわかり合うことない」というものでうならされます。
 一時、気の毒な境遇の人をどう素直に楽しめる人にするか?だったり、和を乱す人間をどう教育するか?というのが取り上げられていたのですが、そちらばかり注目されまた意見が尊重された結果、「普通に素直に、頑張って楽しんでいる人達」が、和のためとか出来る子だからと言われて、我が儘のとばっちりをすごく受けていて、しかもその不満は「仲良くするのが正しい」と理想論を説く人間が想像するよりも何倍も深刻で、そろそろ限界に達していると感じたタイミングだったのでとても面白かったです。
 その辺は妖怪アパートの幽雅な日常でも描かれていたのですが、僕とおじいちゃんと魔法の塔がさらに一歩進んでいると感じたのが、万能のキャラクターであるエスペロスが登場する点だと思います。
 以前の巻では学生のフリをしつつも、万能に我が儘を通すエスペロスが傲慢で安直な存在として引っかかっていたのですが、この巻では「それでも、やっぱり、本当に余裕がある者」は、ベストの解決を常に考え続けたらどうかな?みたいなものを描いていたと思います。
 実はこの巻の彼女は器と正しいありようが問われる、キャラクターにも作者にもプレッシャーのかかる存在だったと思います。
 そしてその結果が素晴らしく、社会の一般常識で言うなら最悪と思い込んでしまう状況で、「この幸せを逃しちゃダメだ」と言い切った辺りは、凄いなあと思いました。ぼくも一読者として混乱していたタイミングだったのでビックリしました。
…物語の最期の展開は多少とんとん拍子で、その言葉が安直なのか超常的過ぎるのかは悩ましいですが、まあそこはエスペロスが言ったことだしということで。
 また、その最期の結末に至課程でも、改めて自分を不幸にする両親ならわかり合う必要はないという描写があり言葉の深さが感じられました。
 立場ある人間なら人前で語る事が躊躇されるけれど、幸せに生きていくためには仕方無い決断みたいなことを、それで良いと言ってあげられるというのは文学の仕事の一つだなあと思いました。