知識人向けと大衆向けコンテンツの違い

 以前に、「リテラシーの高い人と庶民のコミュニティの違い」という記事を書きましたが、同じような違いに「知識人向けと大衆向けコンテンツの違い」というのも大きいのかなあと思いました。
 この差を凄く分かりやすく説明しているのが、岡田斗司夫さんの「『風立ちぬ』を語る 宮崎駿とスタジオジブリ、その軌跡と未来」かなあと思っています。
 それまでの大衆(の特に子供)向けのアニメーションを作っていた、宮崎駿が「風立ちぬ」では一転知識人向け(文学作品の引用が多数ある)作品を作った結果賛否両論になったという解釈です。
 ちょうど反対の出来事がSNSなどネットの先端部分で起こっているのかなと思います。
以前、パソコンだったりネットはなんだかんだいっても、多少の知識が必要で、新製品や新サービスはまず知識人が理解し彼らが詳しいという印象がありましたが、現在はより大衆向けでそれらの流行をいわゆる知識人が「なぜあれが流行るのであろうか?」と頭を抱えるというパターンになっていると感じます。
 結果的にネットの詳しさによって、自らが知識人であることをアピールしようとすると、論理的な知識人と直感的な大衆との板挟みになるというケースが出て来たのかなあと感じています。