西尾維新作品の物語部分以外の魅力(ややネタバレアリ)

 西尾維新作品でぼくが読んでいるのは「物語シリーズ」「刀語」「戯言シリーズ」「人間シリーズ」くらいなので、教養として詳しいと言えるかは微妙なのですが、気持ち的にはガチなファンです。
 そんなぼくにとっての西尾維新の魅力は物語の中だけではなく、著者によってコントロールしている外側の事情も大きいよなあと感じました。
 「偽物語 上」とか「傾物語」とかの、終盤から一気にオチに持って行くスピード感は、いわゆる本(の残りページ)の厚みとシリーズ作品という事情から、「この一冊で決着しないかも」とそわそわしてページをめくる手が早くなった辺りから一気に納得のいく終わらせ方をする演出が素晴らしいです。
 一方で「刀語 第四巻 薄刀・針」では、それまで散々煽った錆 白兵との戦いを一切描かなかったり、戯言シリーズで主人公の過去について結局描かなかったり、「囮物語」みたいな展開もあり油断ならないです。
…この緊張感は突き詰めると、「西尾維新は観たいシーンを描いてくれないかも」という不安から来ています。
 反対に、「刀語 第十二話 炎刀・銃」のとがめの死は、「自分が好きな作品を好きな形で終わらせてくれないかも知れない」という不安を彼の作品全てに印象づけました。
その緊張感を盛って(持ってではなくあえて盛って)アニメの「傾物語」と「鬼物語」を観て頂くと楽しめると思います。
 という具合に西尾維新は「ファンが観たがっている部分を知ってて描かない」かも知れないし、「ファンが望む結末を知ってて壊す」かも知れないという緊張感があり、またそれを本人が面白がりながらコントロールしていると思います。
もちろん、それが出来る大前提は「ファンが望む物を描ける人」であるからですが。
 そんな緊張感が有りながらも、戯言シリーズ「ネコソギラジカル」のラストなどではきっちり王道を決めてくれたりするので、なかなかガチなファンをやめられずにいます(笑