「ぼくらの」の原作とアニメ版の違いについて考えてみました(ネタバレアリです)

 「ぼくらの」のアニメ版が途中から原作と大きく変わっており、そのことでアニメ版の監督のブログが炎上してたりとちょっと話題になっているようなので、違いについてぼくなりに考えてみました。
 ぼくは、原作の方が素晴らしく、アニメ版はそれ比べると見劣りするという立場から記事を書き進めます。以降はネタバレになります。


 まず気になったのが平行世界のバトルロイヤルゲームの真剣さの違いです。
原作では、絶対にやり遂げなくてはならず、また引き継がれ続けてしまうものと真剣に描いています。
「加古功/カコ」編や「町洋子/マチ」編にあったパイロットが戦闘できない状況になった場合はパイロットを殺すとか、「宇白順/ウシロ」編の敵のパイロットが隠れたら別世界の全人類を殺害してでもゲームをクリアするとか、コエムシがココペリとなって次の世界に戦いを引き継ぐ描写がそれを象徴していると思いました。
 一方、アニメ版はやらなくて良いことを押しつけられてやっていて、ゲーム自体も簡単で安直なものという印象でした。
支配者やジアースプログラムやコエムシの子供じみたゲーム進行などはゲーム自体を白けさせて、別世界の敵が非常に弱くなっているのは自己満足の中だけのゲームに見えました。
 またアニメ版オリジナルキャラの榊原 保が浮きまくっていて、どこか子供の遊びを外側から見て分かった風になっている大人の目線と感じてしまい、彼が出るところ全てがぶちこわしという印象でした。
 特に悲惨な影響を受けたのが、田中美純がウシロの母親であるという設定で、もはやグダグダになってしまってました。
 突っ込んで考えると、原作は残酷な描写や子供達の死などを多く描き、また大きな責任を背負わせて子供扱いせず大人として描いている…逆に言うと子供が子供でいられないという切なさがあるのに対して、アニメ版は子供に配慮するという理由で極端に子供扱いして子供達が何かを成そうとしている成長の感動を大きく損なわせており、結果的に子供と大人のすれ違いを意図せずに臭わせてしまっていると感じました。