幼女戦記で混乱するところ

 カルロ・ゼンによるライトノベル原作のアニメ「幼女戦記」の、先の読めない混乱の演出が気になります。
 気になると言いつつどっちかというと分かりやすく乗れる部分の少なさや、読めない展開からの不意打ち的にビックリさせる見せ場がまだない辺り苦手意識を持っているのですが、人気は高いようなのでアレコレ観察しつつ期待しているという感じです。

 混乱しているポイントの一つがターニャを中の人(前世でサラリーマンをやっていたオッサン?)か9歳の幼女として見るかです。
ターニャは前世と比べて圧倒的に優れた処世術と人望を手に入れているのですが、中の人の精神的成長によるものなのか、9歳の幼女という見た目やら世界情勢がもたらしたものなのかで見方が結構変わります。
 前者であれば素直なハッピーエンドを楽しみにしておけば良く(ターニャのハッピーエンドは素直に楽しみ)、後者であれば変わらない独善性がばれることでまた酷い目に遭う展開を期待(ターニャでなく中の人が酷い目にあうと思えば気にならない)していれば良いのですが、その両方の要素を入れて振り子のようにバランスを取っていて、何を期待すれば良いのか意図的に分からなくしているように感じます。

 同じように作品全体が、反戦をアピールするものか悩ましいです。
ターニャは平和を望みますが動機はあくまで楽な人生を求めてで、その手段は積極的に戦争を行い早期決戦を図るというものでそこに葛藤はなく、キャラクターの見せ方や物語の演出も戦争での活躍が目立ちます。

 さら存在Xだけがターニャの罪を罰しており(彼女の独善的な振る舞いによって人間が復讐する展開ではない)、また存在Xが神よりも悪魔的な印象が強いことから、独善的ターニャが巻き起こす物語なのか、理不尽な世界に巻き込まれたターニャが頑張る物語なのかが分かりません。

 こういう読めない不安な状況は文学や映画などでは名作と評価される肝だったりもするのですが、徹夜自慢をするサラリーマンみたくねぎらいか尊敬かどっちが欲しい言葉なのかわからんと感じてしまい、個人的には分かりやすくてベタな方がやっぱり好きです。

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