サクセスストーリーも成功者目線に寄り過ぎると危うさをおぼえちゃうなあ

 今期だとエロマンガ先生、冴えない彼女の育てかたなど、今どきの若者がゲームやライトノベルなどの制作を行う姿を描いた作品を見ていて、他人からの承認と作品の質と制作者の才能と努力の描写が成功者目線に寄りすぎているのに危うさみたいなものを感じてしまいます。

 もちろんフィクションでありパロディでもあるのでリアリティ云々を語りたい訳でもないし、他人から承認される作品の質が高いのは真実だし、質の高い作品を作った制作者が才能を持ち努力しているのも真実だし、才能を持ちそれが評価された人間が人間関係において色々優位になる(極論すればハーレム状態を得られる)なんてこともあり、才能や評価や人間関係があることで財力や権力を得られることもあると思います。

 ただ、質の高い作品全てが承認されてはいないし、才能を持ち努力している人間全てが報われてはいないし、評価されている人間が人間関係で優位になるとは限らないし、才能や評価や人間関係が財力や権力に繋がるとも限りません。
そして、世の中には圧倒的に承認されず報われず優位に立てず財力や権力を持たない人の方が多く、多くの人に当てはまる現実は彼らの体験であり言葉なのだと思います。
 にもかかわらず(だからこそかも)、ごく一部の成功者の言葉や体験には、憧れも加わってとても強い説得力がついて、色々なものを総取りしてしまいます。

 …エロマンガ先生、冴えない彼女の育てかたなどは、作者の方達が実際に成功されているからなのかある意味で凄くリアリティを持って、総取り出来てしまう成功者視点で描かれているように感じます。
 そういう成功の物語は確かに面白いのですが、物語の中に、既に成功しているからできることが混ざってしまい、それが作中の成功の一番大きな要素になっているけれど、成功に憧れる若い人にはそれが見えない構成になると、危うさを覚えてしまいます。

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