文章とアニメの違いってやっぱ大きいのかなあ

 二期になってからのFateを観ていて、やっぱ文章とアニメの違いって大きいなあと感じさせられます。
 特に原作ではト書き(語り)によって多くが描かれた回想シーンは、Fateのようにナレーションを入れないスタイルのアニメだと表現出来ない部分もあり、また読者の想像に任せるなどは文章最大の魅力だったりもします。
 そういう部分の辻褄をあわせるために、オリジナル化する部分が出てくるのは仕方無いのですが、原作に思い入れが強いと作中にある作り手のルールみたいなものに馴染んでいて、アニメオリジナル部分がそれを破ったり矛盾したりすると気になってしまいます。
 例えばキャスター当初のマスターや、UBWでのセラとリズなど見せ場無く退場する(殺される)キャラクターは(そのルートでは)あえて詳しく描かないし、stay nightではほとんど描かれなかったあるキャラクターが、hollow ataraxiaでバゼット・フラガ・マクレミッツとして活躍するエピソードが準備されるところにTYPE-MOONの良心かポリシーを感じてたのが、今回のアニメでバッサリ描かれていたのに違和感を覚えました。
…アインツベルンのアハト翁やホムンクルス達のオリジナル描写も、誇りを持って異端であることを受け入れる魔術師の描写と矛盾してるんじゃないかなあと。
 などと文句を言っていますが、いずれもUBW本編ではメインではない部分であり(そう考えると上記はやられ役もきっちり描くみたいな良心とも取れる?)、作品のクライマックス付近は、むしろ文章よりもアニメの方が栄えるシーンが続きますので、今後が楽しみではあります。