身の丈にあわない贅沢

ぼくは身の丈に合わない贅沢をするためにあれこれ一生懸命に頑張るというのが凄く好きです。
一般的には身の丈に合わない贅沢は、収入が追いつかない支出を産み身を滅ぼしたり、他人の妬みを買うために、悪いことと言われてます。
ぼくはその考えの安直な正しさが非常に引っかかります。
昔、若い女性の間で高級ブランドのバッグが流行ったとき、ブランドのバッグは歳を重ねてお金持ちになった女性に似合うなどと言われてましたが、ブランドのバッグの多くは、一生でもっと美しく見える年代の若い女性が、背伸びして、チャラチャラと非日常の演出として使っている時が輝くと感じてました。
背伸びしてでもブランド品が欲しいという人だけが手を出せば良いのです。
大してブランドが好きでも無い人が、お金持ちになったからとブランドのバッグを日常使いの物にすることこそ、妬みの対象になると思います。また、ブランド品の多くは人もよく記憶しており、とても使いやすいです。
背伸びが笑えない年齢や立場になってブランド品を日常使いし始めると、もしも維持が辛くなったときも、引っ込みが付かなくなり、ダウングレードが日常生活のマイナスに直結し、無理をして継続した結果の破産の危険も大きいと思います。
そんな風に考えるぼくは贅沢に関しては性善論的な「人は贅沢などしなくても幸せになれる」ではなく性悪論の「人は楽して贅沢したがる」を直視して、それを背伸びと割り切りながら、同時に地に足のついたルールも合わせて作り楽しむ方が、大怪我しないで済むと思ってます。