制作者の意図があると考える

  昔、ある推理漫画を読んだ時、登場人物のスプーンの持ち方が変だったのですが当時のぼくは絵が雑だなあという解釈をして読み進めていったら、実はそのスプーンの持ち方が犯人を絞り込むためのヒントだったということがありました。
 それは推理作品で答え合わせをするシーンがあったおかげで、自分が作者の意図に気づかなかったことに気づけたのですが、多くの作品は答え合わせはなされずに気づかないまま、誤解したまま終わると思います。
 そして名作と言われる作品ほど、気づきにくいところはスルーしても楽しめるけど、そういうところにこそ一番言いたいことが入っているみたいな事が多く、やはり作品を楽しむのであればそこを読み解ける方が良いかなと思います。
 同時に推理小説には例えば「謎を解く鍵を全て読者に提示する」という作法みたいなものがありそれに関連する部分の違和感はそういうものだとスルーすることも重要で、作品を楽しむためには少しの知識とセンスが必要になると思います。

 もちろんそれらとは全然別次元の例として、違和感が営業戦略や制作条件(の悪さ)のしわ寄せだったり、制作者の怠慢であったりするケースもありそういう作品を観ると本当にがっかりします。
 ただ、それを考えるのは最後にして、制作者には意図があると好意的に観るというのが案外今時の作品を楽しむための作法なんじゃないかなと思いました。