評価:
角川エンタテインメント ¥ 4,298 (2009-10-28)
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大きな震災を経験した今、改めてアニメ「東京マグニチュード8.0」を観たら非常に深く考えさせられました。
序盤は中学生の女の子である未来の目から見た社会の居心地悪さを描いているように感じましたが、それは単に思春期の葛藤ではなく災害時における弱者に対する、社会や大人の無関心さや冷たさを描いており、実際それと似たものを体験して、大人というかおっさんのぼくには忸怩たる思いがあります。
中盤は、多くの人が口には出さないけれど、震災によって大きなモノを失い傷ついているのを真摯に描いていました。
実際の震災時には押さえ込んでいた感情のいくつかが、アニメ作品では素直に共感していると気づいた時、感情であったり言いたい言葉というのは、フィクションというフィルタを通す方が伝わるなと思いました。
で、終盤ですが、こちらはちょっとネタバレが入ってしまいます。
***以下ネタバレありです
物語のラストで実は終盤に入ってすぐに未来の弟である悠貴が死んでいて、未来にだけその姿が見えていたという事がわかります。
その出来事に関して、未来に精神的障害が出ていたというのと、怪異譚だったというのの二種類の解釈が可能だったと思います。
災害の描写などにリアリティを追求し、同じような障害を持った人の描写があった事などから、おそらくは前者が本命のように思いますが、ぼくはあえて怪異譚と思いたいです。
その理由は、死んでしまったあとの悠貴が、自分が死んでいてずっとこちらの世界に居られる時間がわずかであることにも気づいている上で、前向きで強くて優しい男の子になり、いつくじけてもおかしくない凄惨な現実の中、姉や姉弟の面倒を見てくれた真理さんを家族と一緒に過ごせるように導ききったのは、彼の意志であったと思いたいからです。
死んでしまった人間が自分に何を求めていたのか、自分の事をどう思っていたのかは分からずそのことで思い悩むこともあると思います。
だからこそ、死んでしまった人が(それがなんであれ)生きている人間に思い伝え、成仏するという幽霊の現れる怪異譚は人間にとって必要なのではないかと思います。
そんなわけで今の時期に東京マグニチュード8.0を観ることはオススメだと思います。