困った友達話を歪んだ視線で見て思う事

 ネットなどで「こんな友人の行動に困っているのです」みたいなことを書き込んでいるのをたまに見かけます。
誰がどう聞いてもそれは酷いなという友人の行動に巻き込まれて書き込み主は気の毒だねと思うと同時に「なんでその人とそういう友達をやってるのかな?」と思ってしまいます。
 別に絶交しろとかそういう意味ではなく、よくあるパターンの「そもそも非常識な依頼だとは思ったのですが友達だからと○○してあげたらもっと酷い××なことまでさせられたんです」っていうものの多くが、確実に××になると予測出来るじゃん!ってことでそれを受け入れられないならそもそも○○してあげるのはやめようよ、という意味です。
 もちろん人間関係ってのは最も難しい分野だし、そんな簡単にいくものではないと思うし、家族であったり仕事の人間関係や持ちつ持たれつの関係だったりすれば、それらは割り切れないでしょう。
 ただ、以前にある知り合いは、自分の友人の困った部分を愚痴として語り、その話を素直に信じると、知り合いの友人はおそらく少し精神的に問題があるだろうというくらいに危険な人間で常識人である知り合いとの相性は最悪に思えました。
にも関わらず、その後知人はその友人とプロジェクトを一緒に進めようとしていると言い出しました。
 その話を聞いて思ったのは「どうしてそうなる?」ではなく、「後で責める準備を整えてるな」でした。さっきの例で言うと「友達だから○○してあげた」をやっているんだなと。
「あとは絶対起こる酷い××を待つだけだね。良かったね~。今度会った時にはその××の愚痴を沢山聞いてあげるからね」って気分になりました。
 …なんていうのは全部ぼくの歪んだ考えだなとは思うのですが、一つの解釈としてだらだらと書いてみました。