職業の権限と責任ってどこまで個人にあるのかなあと、アイテム課金の煽りを見て思ったこと

 ソーシャルゲームのゲーム内で利用できるアイテム(追加コンテンツ)を課金してユーザーに販売する「アイテム課金」を演出やデザインや上手い言葉で煽りユーザーの散財を招くことに対して、制作者個人(その時はUXデザイナがやり玉にあげられてた)に責任があるとか無いとかが話題になっていて、改めて職業の権限と責任ってどこまで個人にあるのかなあと考えさせられました。

 基本的にぼくは制作者個人に責任は無い…というか雇われていたり請負で仕事をしている場合は、依頼主の意図にしたがった制作を行うことになり、これはユーザーのためにならないかもと思うことがあったとしても覆すのは難しいく、…これ大丈夫すか?と一応確認を取るくらいが限界だろうと思っています。
 そして実際の制作では意図に沿うようベストを尽くします。

 ただ、一方でネットの情報を探ったり実際に会った一部の人達を思い出すと、ユーザーから搾取することを薦める人が、得られる収益と現状での合法性を強調することで、プロジェクトの方針を決める立場に抜擢されるケースが結構あったりします。
 で、こういう人には責任があると思います。

 どちらもユーザーの不利益を予想できているという点では共通していますが、それを防げるだけの権限を持っているかどうかで責任の重さは変わると思います。
制作者としては後者みたいになりたくないし関わりもなるべく避けたいと思うし、ユーザーとしてはこういう人には踊らされたくないなあと感じます。

 感じますが、それはそれとして、どうしても無視出来ないとか思わず課金してしまいたくなる、演出や導線やデザインそれ自体に対しては、「うっぜぇ!けどすっげぇ!」と思うし「作ってみてぇ!」って気持が出るのも確かではあり、そういうことを考えると、どんな立場であり責任がないとしても、罪はあるのだろうなあと思います。
…まあその辺は人の原罪的に神の許しを請うことにします(大げさ

 って下記みたいな情報もあるのを思うと、そもそもユーザーも搾取されてばっかでは無いみたいですね。いやこの本がもしかして(嘘

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