原作好きがドラマ『そして誰もいなくなった』を観て(ネタバレあり)

 英国の女流ミステリー作家、アガサ・クリスティの小説原作テレビ朝日によるドラマ『そして誰もいなくなった』を観ましたが、原作好きとしてはイマイチという印象でした。
イマイチと言っても前半の第一夜は最高に面白く大満足だし、第二夜も原作どおりの部分は素晴らしいのですが、沢村一樹が演じるオリジナルキャラ相国寺竜也が活躍する謎解きのシーンや、犯人の告白がボトルメールという手段でなく野暮なビデオメッセージになっている部分などが嫌いでした。
…まあ、原作への思い入れが強すぎと言われるとそうかも知れませんが、嫌いなポイントを書いていきたいです。

二夜連続ドラマスペシャル アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった|テレビ朝日

 まず、犯人からのメッセージを映像にしたことで、犯人を客観的に観て滑稽に感じてしまう部分が多すぎると感じました。
 原作では真相解決が不可能なトリックを組み実行、歪んだ承認欲求から全てのトリックと真相を書いたボトルメールを海に投じるのですが、ドラマ版では犯行の一部を屋敷中につけたカメラによって撮影、そのデータを警察に見つけさせ推理をうながします。
 ボトルメールに真相を書く犯人というのは気持悪く迫力があるのですが、カメラが写した犯行映像やら動機の告白をビデオメッセージとして自撮りして、デジタル編集までしている姿はちょっと暇過ぎだろうと思いました。

 そして、その犯人の思惑通りに謎を解く刑事相国寺が、過剰な奇人キャラクターなどと相まって違和感を覚えます。
原作で事件を総括したトマス・レッグ卿は事件の真相を解き明かす事が出来ず迷宮入りした後でボトルメールが発見されるのですが、これはレッグ卿よりも相国寺が有能だっただけでなく、事件に対するそもそもの無関心さもあったのではないかと思います。
 また犯人のヒントと関係なく現場検証で犯人が想定していない答えから見つかる…例えば映像編集用のPCを見つけた…などが全くないのも名探偵役が出たにしては不満足です。

 何よりも犯人と制作者(著者)に共通する、トリックに対する不安が織り込まれていないのが気になります。
 原作の犯人(そして恐らく著者も)は当時まさに過去に例の無い状況で、この犯罪(ミステリー作品執筆)を達成したにもかかわらず、簡単にばれる凡庸なトリックかもしれないと不安を語っていたりします。
上述の通り、迷宮入りした理由もトリックの完成度から来ているのか、捜査官の無関心によるものなのかも微妙だし、また当時の検死技術などの拙さも大きな要素だったと想像出来ます。
 それらの描写によってトリックを出す側も相当なスリリングの中で行っていることがわかり、驚きやある種の賞賛に繋がる(不謹慎かな)のですが、ドラマ版には犯人にも制作側にもそういう緊張感がありませんでした。
 犯人の自分の犯罪は芸術的であると無警戒にドヤ顔で豪語するシーンと、ミステリーの歴史的名作を原作にしたドラマは面白いと評価されるに違いないみたいな、スリルのない無難な傲慢さがかぶっているようで不快でした。
…なんだかんだ言って「そして誰もいなくなった」は大昔でしかも超有名なミステリーで、この作品をモデルにしたトリックはその後のミステリー作品に何度も取り入れられており、それを思うと多くのミステリー作品を読むと語った犯人が、あろうことか今回の犯罪を過去に例が無いと原作にはないことを語るのは白けてしまいます。

 最後に繰り返しになりますが、前半の第一夜は最高に面白く大満足だし、第二夜も原作どおりの部分は演者の芝居も含めて本当に素晴らしく「そして誰もいなくなった」は(変なオリジナル要素を入れなければ)不朽の名作だなと改めて感じました。

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