ラヴクラフトの世界に徐々に入ってます

 先日、狂気の山脈にてを読み、そこからラヴクラフトの世界に徐々に入ってます。
ざっと読んだのは、田辺 剛さんによる漫画化された魔犬、異世界の色彩、闇に這う者。
このシリーズは本当に漫画としてとても面白く、個別の感想は改めて書きたいです。



 そして、 森瀬 繚 (解説), 宮崎 陽介 (イラスト)による漫画半分解説文半分みたいなクトゥルフの呼び声を読み、少しラヴクラフトが愛される理由が分かったように感じました。

 ただ現代の日本で普通に暮らせている状況では当時のラヴクラフト作品の怖さはイマイチぴんとこないかも知れないです。…つか、ぼくがぴんと来なかった。
 理由としては、「異世界の色彩」みたいに他人からも明らかに異常が分かる状況だと、現代の日本ではSNSに拡散されたり他者の調査や救助など介入があり、あそこまで孤独に巻き込まれていくことの想像が難しいかなと。(当時はああいう感じだったかも知れないのですが)
あと、新しい情報が次々注がれ、未踏の地への冒険もしない夜も明るい町の引きこもり(ぼくのことね)にとっては、古代文明や人を狂わせる怪書物や巨大な怪物との遭遇にはなかなか臨場感が持てないです。

 科学が進むことでホラー作品の臨場感が損なわれるという問題はラヴクラフトが創作を行っていた時代にもあり(今よりもタフだったみたい)、そのため彼は当時最先端で分からない部分が少し残っている分野(南極大陸とか深海とか)にホラーを持ち込んでいるのですが、それらが時代と共に明らかになることで、そこにも怪物は発見出来なかったという結果と共に作品の臨場感も失われたのだと思います。

 などとケチから入りましたが、その時代の感覚に没入しつつあの時代の人は何をどんな風に恐れていたのだろうか?という風に読めば時代物としてとても面白いと思うし、時代を超えた普遍的な魅力もあるように感じます。

 中でも森瀬 繚さんの解説などでラヴクラフトの生い立ちなどを知ると、彼は他人と共有するのが難しい恐怖という感情を物凄く優しく引き受けているように感じました。
 余談ですが、類人猿には自身がひ弱で蛇にひとのみにされる生物だった頃のDNAレベルの刷り込みとして、蛇に対する強い恐怖があるそうです。
DNAなどが言語化される以前はその恐怖に対して、強い生き物になった人間と蛇との力関係はアンバランスで混乱が生じ人間をひとのみに出来るような怪物がどこか居ると思わないと、自らの恐怖の理由に納得が出来なかったと思います。
 そんな必要から太古から人は怪物を空想することで本能的な恐怖と共生し、それらは太古の神話に大きな影響を与えたのではないかと思います。

 ラヴクラフトの作品でもその当時、家族知人の言動や行動が突然理解できないものになったとか、自分でも意味の分からない不安や恐怖を一人で背負い込んでしまったとか、当時は言語化と共有が難しい状況(多くは精神的なものだったと想像してます)の元凶として、彼が生み出した怪奇現象が請け負ってくれた風に感じます。
 そういう物語の生まれ方って太古の神話と同じで、クトゥルフ神話という後世の呼ばれ方もマッチしているなあと感じました。

 そして何より、彼の文通の記録であったり当時の写真などからは、おどろおどろしい作品とは裏腹にどこか好感を覚える人間像を感じてしまい、そのギャップも含めて彼のファンになってしまいました。