ぼくはタトゥー格好良いなと思うし入れたいなと思ったこともありますが、タトゥーの意図とかデザインを考えると、ちょっと入れるのは難しいのかなと感じます。
「それぞれの価値観なのに」 りゅうちぇるの”タトゥー問題”にロンブー淳、眞鍋かをりらが持論
特に人の名前の刺青を入れるのは、江戸時代の遊女と客との間で永遠の愛を誓う意味で互いの名前を体に彫ったみたいな意味があり、それらが侠客の間での誓い合いになってるらしく、それを知っていると「ガラ悪いなあ」と感じてしまいます。
入れる人間の思いこそが大切というのも分かりますが、デザインって考えると意味や文化や他者の同意も大切だと感じます。
例えばタトゥー、ニュージーランドの原住民であるマオリ族が入れているモコなんかは、「まとう人の血筋やストーリーを物語っている」らしく、絵が格好良いからとファッションとして関係無い人が入れるのはちょっと如何かなあと感じます。
…特に女性の既婚を示すモコを格好良いからと男が入れたりするのはかなり恥ずかしいのではと。
日本の刺青もモコみたいに「まとう人の血筋やストーリー」があれば入れやすいのにと思うのですが、明治時代に武士階級の儒教思想から明治政府が刺青を規制されてしまい、規制に逆らう形だけで刺青文化が残り洗練され、そのイメージが多くの日本人にあるので社会文化的にとてもハードルが高くなっているのだと思います。
絵柄としてのデザインだけを考えると全身で一枚の画を表現した和彫りなどは立体造形としても滅茶苦茶格好良いですが、優れた刺青ほど絵の意味やコミュニティに対する主張も明確になり、知るほどに入れられなくなるなあと感じます。
あと派手好きとしては、ちょっとしたタトゥーからはじまっても、ゆくゆくはでっかいのに憧れる流れが想像出来ちゃう怖さもあるんだよなあ。
などと今は難しいと感じますが、日本でも江戸時代の鳶や飛脚はふんどし一丁で仕事をすることが多かったから入れたみたいな割と気軽なルーツもあるし、海外の文化が入ることで変化もあると思うので、そうなったら気兼ねなくぼっくも全身に毘沙門天様の和彫りとか入れたいなあ。
…いや、やっぱ恐れ多くて無理だな。