映画「最強のふたり」で思ったこと

 2011年のフランス映画「最強のふたり」を今観て色々考えさせられました。
 頸髄損傷で体が不自由な富豪フィリップと、その介護人となった貧困層の移民の若者ドリスとの交流を、全体的にコミカルに描いた作品ですが、時代の流行だったりぼくの心境の変化みたいなものを感じました。
 この作品ではフィリップスの、体の不自由さや介護の大変さは意図的に省略されていて、柄の悪いドリスがフィリップスの信用を得るどんな介護をしたのか?みたいなものは描かれてませんでした。
 その影響で、富豪が貧困層の生き方や価値観に救われたみたいな演出になっているのですが、ここ数年で本当にそうかなあみたいな印象に変わっているのに気づきました。
 例えば身障者という立場を半ば悪用するような冒頭の描写などは昔だったら好きでしたが、現代の日本などでは実際頻繁にある迷惑なものになっているし、クラシックやオペラなどを茶化してダンスミュージックを称賛するドリスは、貧しく学がない故の無邪気さではなく、一般的な価値観でありそれを主張しているだけと感じました。
 そういう、ある時代に新鮮だと思っていたものが、一般化して影響力も持つようになりその中でも序列みたいなものがあるというのを知ることで、無邪気に称賛できなくなったという感じです。
 もちろん2011年の作品で当時の評判はかなり良くそういう意味では時代を切り取っており、むしろそれが2015年の現代違う印象になっている理由を考えるのが面白いなあと感じさせられます。

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