ぼくと、われわれと、みんなと

 その人がコミュニティと関わるときに自分をどの位置に置いているのか?というのを考えるのに、ぼくと、われわれと、みんなとという単位が面白いなあと感じました。
 昔のSF作品などで宇宙人が地球に現れる際に、「われわれは~」と言ってたし、昔に時代の寵児と言われた人が「われわれは~」と言ってたりしたのを聞いてて思い込んだのは、「お前らとは違うわれわれ」という主張を強く感じました。
 なので自分が使うときは、一般的でない価値観を共有出来た人に対して内々で使うことが多いです。…まあ、言い方としてはより気楽に「ぼくら」とかになると思いますが。
 反対に「われわれ」の一員として、より大きなコミュニティに対して「われわれは~」と語る事に強い恐れを感じています。
散々語った挙げ句に、「え?それお前だけだろ?一緒にするな?」みたいに浮いてしまうのが怖いのだと思います。
 で、「みんな」という単位に関しては最大コミュニティであり、家族であったり親しい友人達すべてが含まれているけれど、自分だけは含まれていないというニュアンスを感じます。
ぼくの中では「みんな」より「みなさま」みたいな聞こえ方をしているのかも知れません。…もしかしてこれって一般的ではないでしょうか?
 まあ、そんなぼくにとっては、「みんな」はぼくとの違いを表すときに使うことがほとんどで、「みんなはそうかもしれないけれど~」という風になり、当然のことながら、「みんな」の一員として「みんなは~」と語ることは、思いつきもしません。
 などという「ぼくの」主張を延々と書きましたが、実は最近「みんな」や「われわれ」への接し方を変えた方が、楽しいしたぶん合理的だと感じるようになって来ました。
 って、長くなったのでその心境の変化はまた後日。