我慢することの価値

 飛行機の中で同乗した赤ちゃんの泣き声に激しくクレームをつけつつ、航空機の構造や航空法の変更を訴えている記事がちょっと話題になりました。
似たようなクレームはほかにもあって、「赤ちゃんの泣き声が響く飛行機には100万円もらっても乗りたくない」というものもネットにありました。
 両者の意見で共通して怖いなあと思ったのは、自分が我慢することが他人にとって価値あることだと思っていることです。
 前者の場合、自分が我慢してその母子と飛行機に乗ったくらいでは航空法を変える権限なんて得られるわけない。後者の場合、他人が赤ちゃんの泣き声に我慢していることに100万円を払ってくれる人など居るわけがない、…という当たり前のことに本当には気づいてないんじゃないかなと感じました。
 むしろ世の中には我慢しないことにすごい価値が生まれることがあり、例えば我慢しないためにプライベートジェットやチャーター機を利用して経済を活性化している大金持ちがいたりします。
 100万円貰って我慢するではなく、100万円払って我慢しないか100万円を払いたくないから諦めるに発想を切り替えた方が良いのではないでしょうか?