映画「アルマゲドン」と漫画「ぼくらの」の自己犠牲の描写違い(ネタバレあり)

評価:
ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント

¥ 2,500

(2010-05-21)

評価:
鬼頭 莫宏
小学館

¥ 590

(2008-09-30)

 例えば世界を救うために自分が犠牲になるみたいな、自己犠牲というのはとても感動的な描写ですが、昔はマッチョな男が英雄としてそういう決断を行っていましたが、今時は、女性とか子供が犠牲になる描写が流行っていると思います。

 ということで、映画アルマゲドンと漫画ぼくらのを例にして、この辺の違いをネタバレありで書いていきたいと思います。


 …以下ネタバレありです。

 アルマゲドンのラストではブルース・ウィルス演じるハリー・スタンパーは地球を救うために英雄的に自爆のスイッチみたいなのを押して、地球は救われます。
 その後、地球の人間全てが救われたことに感謝してたり、さらにハリーの娘と無事帰還したベン・アフレック演じるA・J・フロストが笑顔で抱き合うシーンまであります。
 ここで「父親が死んだのに不謹慎だ」という意見もあるのですが、多分あれはハリーが地球やなによりも自分が愛していて幸せになって欲しかった人たちが幸せになった(つまり自分の犠牲は尊いものであったのだ)という描写であり、ハリーに感情移入して観れば素晴らしい演出だったと思います。
…そして、これは非常に男的な考えですが、ハリーが死ぬシーンは全然悲しくないし、ましてや可哀想ではなく、むしろ「かっけぇ。すげえ俺もやりてぇ。」みたいなものです。

 一方、漫画「ぼくらの」で地球を救うために犠牲になるのは、子供や女性です。
象徴的なのは漫画版の宇白 可奈で、小学4年生の少女が世界を守るために自己犠牲の選択をします。
 これを男的な考えで読むと「なんで、女性や子供が犠牲にならなくてはいかんのだ?そうか俺は無力なのだ!」となるわけです。そこで痛い目を見て初めて、残された人間の気持ちという考えに至ります。
 そういう意味で「ぼくらの」は登場人物の誰かに感情移入するよりも、一歩引いた、観ているだけで何もしてやれない大人の男という視点で観るのが一番グサグサきて面白いと思います。