擬人化について思うこと

 先日記事にした小惑星探査機はやぶさの擬人化についてちょっと思うところがありました。
 擬人化作品の中にははやぶさを幼女として小惑星探査を初めてのお使いのように描写するというものもあり、幼女を好まない人からはけしからんという意見が出ていたりしますが、ぼくはまあ好意的にとらえています。
「未知の領域である宇宙に、一生懸命さだけを頼りによちよち歩きで挑戦するはやぶさと幼女のマッチングはあながち間違っていない…」というような理論武装を当初考えたのですがそれも野暮だと思うのであえてバカになって書き進めますと、
 はやぶさの感動のポイントの一つにはやぶさが関係者たちに深く愛されていたということにあると思っていて、幼女擬人化作品は幼女(の造形)を深く愛する人に向けて作っている前提であるだろうから「はやぶさは開発スタッフには、おまいらが幼女を愛すくらいに愛されていたんだぜ!」というつかみが効いていて、はやぶさ関係者(の一部やろうけど)だって形が明確に人間か幼女かは分からんが、心も命もない機械に「最後に地球を見せてあげたい」と計らうくらいはやぶさたんを擬人化しているわけで、宇宙的に立派なことを成し遂げた人と幼女(の造形)を愛して止まない我々でも共感出来るものがあるやんけということまで表現してるかもしれないんで、はやぶさだって幼女(の造形)だって愛さない人から「ぽかーん(゜Д゜)」とされるリスクを取ってでも、幼女擬人化をすることに意義はあるんではないかと主張したいです。
 …以上、バカになって描いてみました。

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