やっぱり 叱られたい~若者に広がる“叱られ願望”を観て感じたこと

 NHKで放映されていた、やっぱり 叱られたい~若者に広がる“叱られ願望”を観て、叱るって言葉の意味について考えさせられました。
 扱われていた、叱られたいと思う若者は「叱るというのは相手のためを思って言う」という、いわゆる叱る側の心得みたいなものを真に受けて叱られたいと言っている様に感じましたが、ちょっと楽観的すぎるかなあと思いました。
 まずレベルの低い話をするなら、怒りをぶつけないのが理想であったとしても、叱るシチュエーションの時点で叱る側は怒っていることが多いです。
そういう精神状態になると人間なかなか理想通りに話すのは難しいです。
 次にぶっちゃけた話をすると、「叱る」というのは別に相手のためにやっている訳ではありません。
 叱るというのは、あるコミュニティにおけるルールを破った人間に対して、そのルールを守らなくてはいけないと実感してもらう行為だと思います。(だからこそ完全に上から目線で正義を語れるのです)
誰のためにやっているのかというと、コミュニティのためで、コミュニティが円滑に動くために邪魔になる人間を矯正するというのが目的です。
 最後に最悪な話をすると、自分のために叱って欲しいとか叱られたいというのは、自分の成長であったりコミュニティの中で特別になりたいとか自分への関心ばかりでコミュニティが円滑に動くことが見えておらず、まずそこを叱りたいと感じてしまいます。