リアリティの複雑さ

 雑誌「spoon」表紙の『中二病でも恋がしたい!』キャラクター凸守早苗の、リアリティがどこにあるのかが分からなくなる感じがすごく面白いです。
 「中等部3年生の女の子がアールデコ調のおしゃれなカメラを持つ、しかも現役中二病の凸守が!」というリアリティの無さから、むしろ「凸守早苗役をしていた中学生アイドルにがっつりスタイリストがついて雑誌の表紙撮影をした」みたいなリアリティが産まれていると感じました。
 この感覚を延長すると、アニメのキャラクターを演じている誰かが居る(もちろん声優さんとは違う次元で)という風に見えるようなります。…たぶん。
 更に妄想を深めるので着いてきて頂きたいのですが、その誰かは本格派の女優ではなくドジッ子アイドルだなどと考えると、例えば彼女が「女の子が野球をする」という作品に出たとしたら「あの子はアイドルだから、作品におけるリアリティからちょいと外れているくらいがむしろ彼女らしい」という風に見えて来ます。…おそらくは。
 もちろん、これは上記の凸守みたいな一部の例外を除くと、作り手の意図というよりキャラクターのファンが脳内で勝手にやっていることで、しかも普段はあんまり意識していないと思います。
 ただ誰かが「あのキャラクターリアリティ無いよな」みたいなことを突っ込むと、「あの子はオレの中ではドジッ子アイドルがキャスティングされてるから、むしろあれにリアリティあるんだって」となります。…きっとみんなも。
 妄想を更に深めると(着いてこられる人いるかなあ)、例えばそのアイドルのファンイベントが秋葉原ソフマップで開催されて、イベント最後の撮影タイムに「女の子が野球をする」という作品のキャラクターを模して、野球のポーズをしたら参加者の一人が「オレ、野球に詳しいけど、その構え間違えてるよ」と言うと、どういう空気になるかは簡単に想像ができます。…ぼくだけか?
 まあ、要するに「弓の構え方」とかをむやみに突っ込むと危ないということです。