スタジオジブリのアニメ映画『魔女の宅急便』に主人公・キキのよき相方として、喋る黒猫のジジについての新たな裏話を見かけました。
これまで何度か語られていた、裏話というか理由は、『ジブリの教科書5 魔女の宅急便』(文春ジブリ文庫)に掲載されている鈴木さんのインタビューの下記とされていました。
【魔女の宅急便】ラストシーンでなぜジジは喋らないままなのか? プロデューサーが語ったその理由、ジジが持っていた役割とは(BuzzFeed Japan) – Yahoo!ニュース
ところが、今回、下記のようなツイートを見かけました。
これが唯一の真相とは思いませんが、妙な説得力とユーモアがあり、「分身がもういらなくなった」という理由への対抗としては最高に面白いです。
キキとジジが会話できなくなるのは映画オリジナルのストーリーです。意外に思われる方も多いでしょうが、実は宮﨑駿監督はネコが嫌いで、ジジの扱いに困って何とかキキから引き離そうと考え、ジジを喋れなくしてしまいました。ちなみに、原作でのジジはずっと喋っています。#魔女の宅急便 pic.twitter.com/SwbmvXgCG0
— キャッスル@ジブリフリーク (@castle_gtm) March 22, 2024
ぼくはジジが喋れなくなるの嫌派
もともとぼくは、ラストでキキがジジとしゃべれなくなる展開は嫌でした。
喋れなくなったジジは、それまで持っていた人間と会話が出来るくらいの知性や人格も失われたように感じ、単純な寂しさに加え、怖さも感じます。
ちなみに、作中で登場する渡り鳥やカラスや犬などは、いずれも人間のような知性や人格を持っているような描写があり、もしそうなら最後ジジはキキと会話出来ないだけで、人間並みの知性やあの人格は残っているという考え方も出来ますが、言葉とはとかコミュニケーションとはみたいなややこしい話になりそうです。
加えて、動物に知性や人格を持っているような描写は、全てジジのセリフで表現されており、ジジの言葉が成長によって失われるものなら、あの世界の動物たちは実は全て現実世界同様の動物であるという展開の方が設定として美しいと思います。
分身がもういらなくなった説は、ぬいぐるみ身代わり時の展開が気になる
ぼくの好みはともかく、ジジの言動などを改めて振り返ると、分身がもういらなくなった説や、ジジはイマジナリーフレンドだった説が腑に落ちるようなシーンが存在しています。
魔女の宅急便の結末でジジが喋らない理由は?声が聞こえない理由を原作から考察
一方で、ジジがぬいぐるみの身代わりになるシーンでは、ジジという魔法を使える(知性を持った)猫が実在しないと成り立たないし、キキと会話してしぶしぶ納得した上でジジがぬいぐるみに扮していると思うから笑えます。
あのジジが、キキの成長と共に失われる存在だったり、ましてやイマジナリーフレンドだとしたら、実際に起こっていたことを想像すると単純にジジが可哀想だし、アレコレ恐いことも想像してしまいます。
原作や北米版では
改めて調べたところ、原作ではジジが魔法の影響で話せなくなることはなく(猫同士の関係もあって意識的に話さない事はある)、2003年のアニメ北米版では「Kiki, can you hear me?(キキ、ぼくの声きこえる?)」というセリフがある(後に変更されたっぽい)そうな。
個人的に、色々な解釈が出来るこのセリフならあのシーンにあっても良いよなあと感じました。
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『魔女の宅急便』のジジが話せない理由は?原作との違いから考察。 – おすすめ映画メモ
ジジと喋らなくなるのが成長なのか?
などとあれが好きこれが嫌いと調べていて、ぼくはジジと喋らなくなることだけが成長という考え方が嫌だと思いました。
魔法(今風に言うとチートスキルかな)に頼らず自身の努力で自立し社会に受け入れられたのであれば、魔法であったりイマジナリーフレンドな猫(ジジ)と決別するというのも、ありと思います。
しかし、クライマックスシーンでキキは空を飛ぶ魔法を使いトンボを助けることで、社会から受け入れられているので、なんというかジジだけから卒業してもなあという感じです。
むしろ、新しい街で受け入れられたのに舞い上がって、地元から一緒に過ごしてきた一番の相棒であり家族であるジジを切り捨て、大きなコミュニティに乗り換えたとすら見えてしまいます。
などと、深く考えると笑えない重さが乗ってくるので、 …宮崎駿監督は猫が嫌いなのかなあくらいにオチのつく今回の新説がお気に入りです。