青空文庫の北大路魯山人作品を読みながら批評が必要になるときを考えた


 電子書籍ストア BookLive!では独自のビューワで、青空文庫の作品を無料で読めるのですが、流石名作揃いだけありとても面白いです。
最近は、ちょっとした合間に読める北大路魯山人の短辺を読むのにはまっています。
 北大路魯山人といえば、つねに傲岸(ごうがん)・不遜・狷介(けんかい)・虚栄などの悪評がつきまとい毒舌でも有名な人で、マンガ「美味しんぼ」の海原雄山のモデルと言われていますが、好きな食について語っていてご機嫌なのか文章はとても読みやすく人物に対しても強い好感を覚えます。
 魯山人が自らの食への批評について、何を食べても美味しくむしろ量の多さを好む若い頃は素直に食べたいものを食べれば良い。食への批評が必要なのは、食欲が乏しくなり食をすすめるために美味さが必要になる年齢になってからだ…みたいな感じ(要約へたでスミマセン)に語っていて、冷静な人だなと感じました。
 またその言葉から、批評というものが現れる前提について強く考えさせられ、特にビデオゲームに対する批評が、この前提とピッタリあうと感じました。
 自分が子供の頃は今時で言うクソゲーであっても喜んでプレイしていたけれど、プレイヤーが老いる(大人になる)につれて、相当な面白さがなくてはプレイ出来なくなっていき、そこに批評というものが出て来たんだなあと感じました。
 好きこそものの上手なれという言葉がありますが、批評があふれるのは好きという気持が老いている分野なのかなあと感じました。