採点式レビューをやめた理由

 ぼくも作品レビューの記事は書いているのですが、今は作品に点数をつけるのはやめていて、満点かそうでないかだけをつけるようにしています。ちなみに昔は採点式レビュー方式をとっていましたが、あえてそれは辞めました。

 辞めた理由は、採点式レビューの肝である「分母の確保」と「信用を欲する葛藤の確保」が出来なくなったからだと思います。

 分母の確保というのは、多くの作品にその人好みの格付けをしていくことで、その人の人間像や趣味嗜好がぼんやりと見えてくるというもので、そのためには多くの作品を観て評していかなくてはいけません。
 ぼくは、好きな作品の好きな理由を考えるのは楽しいけれど、嫌いな作品の嫌いな理由を考えるのはしんどい…と感じてしまいそこからリタイヤしました。

 信用を欲する葛藤の確保というのは、レビューは信用と自己表現のせめぎ合いのメディアだと考えていて、「自分は大好きだけど、他人に良さが伝わるか微妙な作品」にどういう評価をするかで「俺は面白いと言いたいが俺の言葉を信じてその作品を観た人が面白さに気づけなくてがっかりして信用が失われるのはイヤだ」と悩みます。
また、以前の作品評価と足並みが揃わないと、やはり信用が薄まってしまいます。
 その辺ぼくは、酔っ払った勢いで書くぐらいで良いじゃんという有様です。

 などと理論立てた説明をしましたが、結局の所、採点式レビューでは筆が進まなくなってしまい、書けるものを書くという意図(それを意図と言えるのかは謎ですが)で変更したというのが実情で、辞めてしまった事を悲観的には思っていません。
 ただ辞めたからこそ、人の採点式レビューのすごさに素直に感心できて、改めて面白いなと思えるようになりました。