アドベンチャーゲームの魅力

  昔、ゲームのかまいたちの夜をプレイした友人は、頭が良かったのかネタバレを仕入れてしまったのか、1プレイ目でいわゆる完全解決をしてしまい、人間ドラマなど全く起こらないパズルゲームみたいに感じたそうな。
一方ぼくは犯人がちっとも分からず何度もバッドエンドに行ってしまい、やっと犯人を捕まえたと思ったら後味が悪い終わりになったりと、うだうだしながらプレイしましたが、おかげで完全解決を見た時には凄い感動がありました。
 この例はぼくの方がより楽しめたということを強調したい訳ではなく、ハッピーエンドだけの一本道は物語としてあまり面白くなく、ぱっと見ると普通のことに見えるということです。まあ、コロンブスの卵の答えを先に知って出題を聞くと、なぞなぞを出されていることにも気づかないみたいな感じでしょうか。
 一方、例えば主人公などがあっさりと死んでしまったり、全く救いのないただ暗い物語というのも、面白く無いと思います。
 そのため多くの物語では、完璧なハッピーエンドではないけどそこそこ苦労してまあまあ良いことが起こったという間をとることになります。
 ところが、アドベンチャーゲームの場合選択を誤った場合には、何の救いも無い物語が見られて、一方選択を全て正解すれば完璧なハッピーエンドが見られたりします。
 それを利用すれば、悲惨な出来事が起こって初めて見られる人間の内面を描いたり、致命的になる失敗を経験した事で得られる教訓を次のプレイで活かしたり、悲惨な物語を知っているからこそご都合主義とも思えるようなハッピーエンドを愛おしく思えたりと、物語の演出の幅が大きく広がると思います。
 そういう意味で、アドベンチャーゲームとは、物語の幅を大きく広げる可能性のあるメディアだなあと思います。