ネットの中心でクソゲーと叫んだ廃人

 ふとクソゲーという言葉について考えてみました。
 クソゲーとはユーザーやゲーム評論筋がコンピューターゲームを酷評する際に用いる言葉ですが、ネットでは個人の嗜好もありほとんどすべてのゲームにこのレッテルが貼られていると思います。
 ただ、このクソゲーという言葉は、ゲームを売る会社には迷惑だし、そのゲームが好きな人の気分を害するのに、公の場でわざわざ言う(自分も含む)のはなぜかなと考えてみました。
・情報共有のため
 おもしろいと期待したゲームがおもしろいと感じなくてがっかりしたという失敗を、人に伝えることで他人が自分と同じ過ちをしないためにする。
自己正当に傾く人と、自分を完全に消している人に二極化しています。
・愚痴を言わずにはいられない
 おもしろくないことでたまったマイナスの感情を誰かに聞いてもらうことで少しでも鎮めるためにする。これを上手に使う人はストレス解消の達人です。
このクソゲーが!と言ってすっきりしてまたゲームの続きをするような人はこのタイプです。
・話のネタにする
 共通の体験を話題にすることでコミュニケーションを円滑にするためにする。
クソゲーにだまされて苦労しちゃいました。そんな俺を笑ってよ!でも同じようにだまされた人も居るでしょ!?みたいなタイプ。自ら進んでクソゲーをやったりします。
 そして、クソゲーという言葉でやっかいなのは、愚痴がほかの二つと混ざったときです。
 情報共有に愚痴を書くと攻撃的になるし、愚痴を情報共有だと思って読むと購買意欲は一気に無くなり、製品にとばっちりが行きます。
 話のネタと愚痴が混ざると周りがどん引きしても一人で語り続けるようになるし、愚痴をネタと思っ読むと意地悪な人となってしまい書き手にとばっちりが行きます。
ネットでちょっと違和感のある「クソゲー」という言葉に出会ったら、感情が反応しても一瞬冷静になって、この「クソゲー」とは上記の内のどの意味で使われているのかなあ?と考えると少しは冷静さがキープ出来ると思います。
 もちろん、実際にはこれ以外にもっといろいろなパターンがありそれらがややこしく絡み合っていると思い、改めて言葉というのは難しいなあと思いました。