修行と労働(ビジネス)

 修行と労働(ビジネス)ってなんとなく混同してたけど、はっきり別物と区切った方が分かりやすくなることがあるなと思いました。

 デザインの仕事やら自営業やら経営者やらあるいは芸事なんかでは、修行やら学習やら訓練やら投資をして自身や商売や稼ぎを拡大させることが普通だと感じてましたが、多くの人にとっての労働というのはまず何よりも効率的にお金を稼ぐ手段であると思いました。

 DVD『二郎は鮨の夢を見る』の「すきやばし次郎において10年修行を積むと、たまごを焼かせてもらえるという指導法」だったり、それの対になるようなホリエモンこと堀江隆文さんが「寿司職人が何年も修行するのはバカ」という発言や、ザ・ノンフィクション『すしバカ、ハワイへ行く』でのアグレッシブに世界に挑戦する姿などを見ていて、合理的な修行と労働(ビジネス)についてあれこれ考えるも答えが出なかったのですが、地方で昔から10人弱くらいで回している寿司屋でシャリ担当を何十年やっている板前さんをある番組で見てこれがもしかしたら自然かもと思いました。

 これまでなんとなく寿司屋は独立して自分の店を持つのが成功と感じていたのですが、自分が働くお店を仲間と支え、信頼と歴史あるお店の看板と板長に集客が集中するようにブランドを作って、売上は月々の給料としてみんなで分配するというのが、サラリーマン的というか一般的というかまっとうな組織での働き方かもと思うようになりました。
 そしてそういうまっとうな働き方に修行が必要な壁や達成感がないかというとそんなことはなく、何十年も続けているシャリ炊きにはきっと困難や達成などがあるのだろうと思います。

 そういう意味で『二郎は鮨の夢を見る』のDVDでの物言いには、たまごを焼かせて貰えない10年未満の若手に暮らせる給料払えているのかとか必要なチームメイトして尊厳ある扱いをしているのかに不安を覚えるし、ホリエモンや『すしバカ、ハワイへ行く』の物言いには労働とは暮らしを維持する手段の一つと考える人にはハイリスクすぎる…というか暑苦しいのかなと思いました。

 資本主義では拡大が必須条件だし人間の本能的にも拡大は気持良いので、意識高い組織では携わる全員に拡大するための修行を求めますが、労働(ビジネス)はそれを拡大するのが目的な人ばかりではない、つーかその頑張りに見合う報酬が全員に行き渡るような成長がもはや無い時代だし、なによりも組織には変な野心に振り回されない割り切った人達の下支えが絶対的に必須であることを思うと、修行(特に独立のための)と労働(ビジネス)って、はっきり別物と区切った方が分かりやすくなることがあるなと思いました。

 …こんな話題で『二郎は鮨の夢を見る』へのリンク張るのもあれだったのでこちらをオススメw ↓
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