るくるくを考察する前にジョン・ミルトンによる失楽園を思い起こす

るくるく(1) (アフタヌーンコミックス)

あさりよしとおによる漫画「るくるく」を考察するにあたって、イギリスの17世紀の詩人、ジョン・ミルトンによる失楽園を振り返ってます。
ってるくるくは気楽にギャグを楽しむ方が良いのかなあと思うのですが、まあ厨二病心がくすぐられたということで。

ミルトンによる「失楽園」とは

失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)

るくるくではヒロインの瑠玖羽がルシファーだったりといわゆる堕天使な悪魔が沢山出て来ますが、その辺を描いた元祖と言えば17世紀イギリスの詩人ミルトンによる「失楽園」なわけでその辺を参考にしようかと思います。
失楽園によるルシファーはヤハウェの偉大さを知りつつ、服従よりも自由に戦って敗北することを選ぶ一種の英雄として描かれおり、これがるくるくの終盤で繰り返し描かれる神から自立する生き方なのかと思います。
さらに最終回で瑠玖羽は「己だけを知る者と己を超えて真理を知る者」の二種類に別れるという言葉を意味深に使います。
これは、プロテスタンティズムのカルヴァンの予定説(神はあらかじめ救済する者とそうではない者とを振り分けているという考え方)のことで、瑠玖羽は救済されない側の肩を持ってこう表したのかな思っています。
…まあ瑠玖羽は悪魔なわけですので。

ミルトンが生きた時代の予定説

ちなみにミルトンが生きた時代でも、予定説を信じる人たちは自分は救済を予定されているのかという恐るべき緊張と戦わなければならないようで、彼は予定説を「たとい地獄に堕されようと、私はこのような神をどうしても尊敬することはできない」強く批判したのだそうな。

失楽園/ミルトンのあらすじと読書感想文

考察しがいがあります

そして、この言葉が瑠玖羽が繰り返し語っていた、「地獄はもういっぱい」というセリフに繋がるのかなと考えています。
…という具合に調べると繋がるって部分が沢山有り、しかもそれらが作中に出て来た気になる言葉をググるだけで、ぽろぽろと情報が見つかるので、とても考察が楽しいです♪