以前にまんが世界昔ばなしがAmazon Prime Videoの見放題対象になっていた時期があり、その時に見た、マッチ売りの少女に滅法感動してしまいました。
昔は共感できなかった
定番の童話として子どもの頃にも何度か触れましたが、当時は物語の意味がよく解らず、売り物であるマッチを勝手に使った少女が不幸な目に遭う物語なのかとすら感じていました。
後に死が救済であるという死生観があると聞き、なるほどなあとは思いましたが、共感には至りませんでした。
共感した部分
しかし、町の人達が少女の亡骸を見つけた時の、やりきれない気持は大人になってから大いに共感することが出来ました。
マッチのもえかすの束をにぎりしめた少女の亡骸は、生きようとしたけれど死に抗えなかった最後を生々しく想像させられいたたまれない気持にさせられます。
そして、自らの無関心で少女を救えなかった反省に盛り上がる大人に対して、人知れず少女は幸福を得ていたというのは、嘆く大人への、救済にも感じられる一方、安易な同情や弱者への侮りを窘めているようでもあり、多くの主張が込められていると感じました。
怖くないところが怖い
1998年に出版された『本当は恐ろしいグリム童話』などの影響で、マッチ売りの少女に関しても、ダークな設定が憶測されるようになりました。
…下記などに詳しく書かれております。
ネットで広まる「マッチ売りの少女=売春婦説」…実は明確な元ネタがあった! | ダ・ヴィンチニュース
しかし、ダークな設定が加えられるほど、マッチ売りの少女に対する同情が薄れ、ぼくが共感した町の人達のやりきれない気持も薄らいでしまいます。
やはり、ぼくにとっては何の落ち度もない善良で幼い子供が、大人や社会の無関心によって亡くなるというのが一番怖かったです。
まんが世界昔ばなしはえぐってきた
まんが世界昔ばなしのマッチ売りの少女は非常に幼く従順で哀れを誘うように描かれることで救いたいと強く思わせられます。
また、町の人達は根は善人に描かれており、感情移入しやすく、少しの気遣いで少女を助けられると感じさせられます。
そして結末では、町の人達の少女の死に対する絶望を、宮城まり子さんの素晴らしい演技で、厳しくも優しく否定してくれています。
改めて、人には物語が必要であるということを、実感させられる、素晴らしい話と滅法感動しました。