真夏の方程式観ました(ネタバレあり)

 東野圭吾の小説原作の映画ガリレオシリーズ「真夏の方程式」が地上波で放送されたのを観ました。…のでもうネタバレありで。
 海や島の映像は綺麗だし、湯川学(福山雅治)は格好良いし、恭平と一緒にやったペットボトルの実験はなんかほほえましいし、映像はとても素敵でした。
 一方で事件の中心にいる川畑家の人達は、あえて言うとクズです。
 杏演じる川畑成実演は子供の頃に犯した殺人の罪を実の父親である、白竜演じる仙波英俊の協力で隠蔽しており、風吹ジュン演じる川畑節子は娘の実演が不倫相手である仙波との子供であるということを隠しており、前田吟演じる川畑重治は全て知っていることを隠しています。…で、良いのかな?
 さらに重治はその秘密を守るために、元刑事・塚原を恭平を利用して殺しています。
 もうね、家族全員クズです。
 ってそこを強調するのは、この作品を楽しむためには、あいつら全員クズだと先に割り切ることで、「家族の愛とか描いているけど、あの人達実は酷いよね」ではなく「酷い人達にも家族愛とかあるんだね」と観ると混乱は少ないと思うからです。
 ただ、この混乱が大きなテーマで、嘘の上で交わされる愛の歪さや、全てを隠し通せたとしても罪悪感は本人が気づかない内に人生を台無しにする、というのを描いていたと思いました。
 そんな生き方を続けた人間の歪さを象徴しているのが重治で、嘘で固めれば幸せになると徹底しており、真実を知ることを重んじる湯川の対照的な存在として描かれています。
 …とだけ言い切ると重治が気の毒なので補足すると、彼は「娘が妻の不倫相手との間に出来た子供である」という真実から目をそらすことで、娘や家族との愛を作り上げてきた人間であり、嘘を許すことを否定するのは彼にとって家族の愛を否定するのと同義であったのだと思います。
そういうジレンマは、最も人間の人間らしい部分であるとぼくは感じます。
 そしてそんな作品の最後の問題は、騙されて殺人の手助けをしてしまった恭平の気持をどうするか?という点です。
 重治は恭平は知らずにやったことで罪に問われることはない。恭平自身も騙されているなんて知らなかったと忘れれば良い…と考えます。
 一方の湯川は、ドラマ版の彼だと、恭平の気持を思いやることなくズカズカと真実を告げそうなのですが、そうはせずに「ぼくたちが、成長していけば答えにたどり着けるはずだ。ぼくも一緒に考えよう」と、恭平に語りかけ共に真実に立ち向かうという立場を取ります。
 作品の演出としては、恭平は事件の真相に気づいており、ひとりでその問題を抱えて苦しむという描写から、湯川の考えを支持するように作られていたかなと思いましたが、一方的なものではなく考えさせられるものだったなと思いました。
 違和感のあるところには、必ず何かしらの大きなメッセージが隠されているというミステリーとして素晴らしい作品でした。