天空の城ラピュタを観ました

 Twitterのバルス祭に加わりたくて、日テレで放送されていた「天空の城ラピュタ」を観ましたが、やはり面白かったです。
 宮崎アニメの中でも一番好きで何十回も観てますが、毎回新たな発見だったり、年齢に応じて感想が変わって凄いなあと思わされます。
 ということで、あえておっさん臭いポイントについて書いてみます。
 ぼくは宮崎アニメのナウシカ前後には大きな違いがあると思っていて、ナウシカ以降「自然の素晴らしさ」みたいなものが加わり、それが宮崎アニメは大人が子供に向けて語るに相応しいみたいなポジションを得たように思います。
 ただ宮崎駿のコメントなどを見ると自然の素晴らしさに関心があるのではなく、人間、特に大人とか社会がキライだから廃墟が好き、大人に牛耳られていない場所としての自然が好きで、そこでは子供がのびのびと過ごせる楽園なんだ…みたいな歪んだもののように感じます。
 その辺りを露骨に描いていて、観る人間もそう思って観ていたのが「未来少年コナン」だったと思います。
 ナウシカ辺りから加わった演出だったりテーマは、ぼくの場合は「公害に対する反省」だったり「失われる自然」みたいなものが呼び起こされ、「自然の素晴らしさ」ではなく「人間の罪深さ」を感じていました。
 そういう意味で、ラピュタのクライマックス「バルス」のシーンは、「罪深い人間の責任を子供に取らせるって切ないなあ」と思っていましたが、今回、宮崎駿の大人嫌いを加えて考えると、兵器としてのラピュタとムスカという罪深さの象徴を、子供のシータとパズーが一言でたたき壊して、そんな二人を自然が助けてくれたというのは、何とも痛快だなあと、子供の頃何にも考えずに観て思ったことに戻りました。
 てな具合に、未だ観るたびに受け取り方がどんどん変わるラピュタは、これからも毎年観たいなあと思いました。