最終考察 うみねこのなく頃に散を読みました

 KEIYAによる「うみねこのなく頃に」の考察本「最終考察 うみねこのなく頃に散 Answer to the golden witch Episode 5-8」が面白かったです。
この本は「最終考察 うみねこのなく頃に Witch-hunting for the Episode 1-4」と一緒に購入したのですが、まだ「うみねこのなく頃に」のEpisode 1-4はアニメ版しか観ていなかったために、著者の深い考察にまったくついて行けずそちらは後回しにしています。
 まあ、当初の目的が「原作版Episode 5-8をプレイして自分なりにたどり着いた真実は妥当であるか?また他人の考察に自分の考察が流されない程度の確信が欲しかった」という理由で購入したので、そういう意味では、当初の目的は果たせました。
 ただこの考察本もまたKEIYAさんによる一つの考察であってオフィシャルな答え合わせの場ではなく、同じ推理を楽しんだ同志という目線で楽しむ事ができますが、推理力が凄すぎてミステリートリックの考察はもう完全に脱帽です。
ミステリー好きな方ってやっぱり凄いなあと思うと同時に、あそこまで読み込みながら作品を楽しむ娯楽があるということに感動しました。
 また、ミステリー部分以外にも、登場人物の心の動きや、描写の比喩であったりもメチャクチャ深く、こんな方と作品について語ればメチャクチャ楽しいであろうなあと思いました。
 以下はネタバレを含んで書いて行きます。


1.ミステリーに関しては語るべきことはありません
 ミステリートリックに関してはこの考察本に対してぼくが語れることはありません。…って思考停止って怒られそうですが。
2.ゲーム板外のベアトリーチェや戦人たちは何だったのか?
 ゲーム板外の存在である、ベアトリーチェや戦人たちが何を現しているのかは、「うみねこのなく頃に」が「ただ描きたい物を描いた」のか、「必然と必要のある物を描いた」のかが別れる非常に重要な点です。
 この作品における最も重要な謎の一つであったと思います。
ぼくはこのシーンを、惨劇の12年後1998年を孤独に生きる縁寿からみた、六軒島の世間と自分自身の評価と考えてましたが、この考察ではさらに深い解釈が描かれています。
 それらは一文ごとに根拠がしっかりした素晴らしいもので、多くの部分ぼくは自分の考察を変更することになりました。
3.ぼくの考察と異なっていた点
 「ヤス」の考察がぼくと異なります。Wikipediaでも解釈が分かれるポイントであるようですがぼくは、「ヤス」は登場人物として物語に現れていたと考えています。
 ベアトリーチェの面影がある「ヤス」というのも楽しみではあるのですが、あれだけの心の痛みを語った人間がその素顔を物語に出していないというのはあまりに哀しすぎると思いました。
4.勝手な考察
 以前も書きましたが終盤の、戦人とベアトリーチェが二人でボートに乗って島を出るシーンは、比喩や妄想ではなくやはり二人でボートに乗っていたと思います。
そのシーンはEpisode7の最後の続きで、あの状況であっても奇跡的に戦人を救ったのはベアトリーチェだった。そしてその時に戦人は自分の罪、そしてその結果であるベアトリーチェの罪全てを知り、また未来が絶望と喪失に満ちていると理解した上で行動を共にしたのだと思います。
 その後の別れの原因はEpisode7の通りであり、物語に描かれているのとは多少違う描写で彼女と別れ、そして物語とほんの少し違う形で彼女を追いそれに失敗します。
 戦人と縁寿のすれ違いの理由は、ベアトリーチェを二度と一人にはしないという呪いのように強い戦人の愛であったと…まあそう思いたいわけです。
 3番目の「ヤス」の考察もそうですがこの考えは非常に甘ったるく、合理性を考えるならKEIYAさんの考察の方が数倍も説得力がありますが、ぼくがこの物語を楽しむためにはここはどうしても譲りたくないところです。
…まあ、竜騎士07さんも「愛がなければ視えない」と言っているので、愛から来る執着の結果であればこういう、生ぬるい考察もありなのかなと思っています。