東京23区などで乳児の水道水摂取自粛を要請だそうな

 都水道局の金町浄水場(葛飾区)で、水道水1キログラムあたり210ベクレルの放射性ヨウ素が検出されたことを受けて乳児の摂取自粛を要請が出たそうな。
 さらにMSN産経ニュースでは「基準は長期に水を摂取した場合の健康への影響を考慮して設定されたもので、代わりとなる飲用水がない場合は水を飲んでも健康に影響はない」という文章が掲載されていたけど、この文章を素直に読むと「代わりとなる飲用水があればそっちを飲め」ってわけでそりゃあ水を買いに走るだろうなと思います。…ぼくは多分もう買えないしっていうのと面倒だからという理由で行きませんが。
  それにしても震災後「問題発生、しかし命に問題は無い」って情報の流れ方がよくあり、そのたびに命に問題が無いって言葉が全然人を安心させてくれないというパターンを見るように思います。
 そこには様々な理由があると思いますがそのうちの一つが、余裕への過剰な注目だと思います。
 国の基準値は実際の健康の危機に対して余裕を持たせていて、消費者は国の安全基準よりもさらに余裕を持たせて自分を守ろうとしているように感じます。
 そういう状況で国の安全基準の余裕を小さくしたという情報を得れば、消費者は自分の安全基準の余裕をより大きくすることで、命の危険との距離を維持もしくはさらに遠くにしようと考えると思います。
 消費者が見ているのは現実的な命の危機ではなくどれくらい余裕があるか、厳密には以前あった余裕と今の余裕の差であると思います。
 特に、高度成長期などで余裕量が常に右肩上がりだった世代には余裕がなくなっていくというのは耐えがたいストレスなのかなと思います。