映画版 永遠の0を観て思った事

 地上波で映画版 永遠の0が放送されていたので録画しつつ追っかけ再生で観ました。
ちなみにぼくは映画版の前にドラマ版、須本 壮一作画のコミカライズされた一巻だけを読み、原作はノータッチです。
 映画版だったり世間の評価にある「名作である」と考えると、生きて帰ることの重要さを主張し続けていた宮部久蔵が、最後には自身が助かる可能性をわざと捨ててまで死を選んだ点に物凄く引っかかります。
 それって、他の人にも(宮部が最後決断したような)死を受け入れるに値する事情があったのかもという配慮もないし、一番大切だったはずの女房子供を捨てるという決断の矛盾や罪深さはどうなるの?となってしまいます。
 ただドラマ版が分かりやすいのですが、この作品は主義や価値観を主張するものではなく、娯楽ミステリであり「精神的にも技能的にも死と縁遠かったはずの名パイロットがどうして死んだのか?」を描いていたように思います。
 そして「様々な目をかいくぐり宮部は生き残っているのではないか?」というのが最大のミスリードであり期待だったのかなと思います。
そんな期待を裏切る結末は「あんな人でも死は避けられなかった」という喪失感と諦観に繋がり、それこそがあの時代を代表する感覚の一つだったというのがメッセージなら面白いと思います。
 色々出来過ぎな宮部が残した家族のその後も、自分が主張し続けた行動が自分の死後に一番大切なものを守ってくれたというミステリのおまけの美談ととらえると泣ける話だなあと思います。
 という案配に見方によっては楽しめるのですが、生き方や思想の参考にするべき作品と言われるとどうかなあと反論したくなります。