傾国の美女とフェミニズム

シャルル・ペロー,グリム
竹書房

¥ 702

(2015-04-16)

 傾国の美女というのは「君主がその美しさに溺れ、その女性の歓心を買うために国政を歪め、遂には国家の存立を危うくするほどの美女を意味する」のだそうな。
言葉としては一般的ではないですが、物語にはよく登場しているように思います。
 例えばシンデレラなどをちょっと斜に構えて見ると、政略結婚が国益に直結した時代の王子がパーティで出会った謎の女性に惚れ込み、国を挙げてその女性を探す行事をするって、外交や政治的な混乱やかかった費用など「国が一つ軽く傾いている」と思います。
 加えて王子は(足を削って無理矢理靴を履いた)シンデレラの姉を自力で見抜くことも出来なくなるほど(あれ?見抜けなかったのはおつきの人らだったっけか)シンデレラにメロメロで、人間的にも色々傾いてるなあって感じです。
 日本だったら竹取物語のかぐや姫に求婚してきた男達のエピソードだったりがあり、恐らく似たような話は世界中にあるのかなあと思います。
 そういうのを現代的、フェミニズム(性差別を廃止し、抑圧されていた女性の権利を拡張する思想)的に考えると、「あんな王子に嫁ぐって幸せかしら?」とか「容姿だけで女を選ぶってどういうこと?」となりますし、まあマリ・アントワネットのエピソードなどの影響もあって、それは本当の(継続する)幸せではないと語られることが多いのかなあと思います。
 ただぼくは、男を虜にする絶対的な魅力によって、自身の幸せを手に入れたり、自分を虐げてきた意地悪な家族が酷い目にあったり、言い寄る男達に難題をふっかけて袖にするみたいなのって話としてすごく爽快だし、そういう女性ってすげぇ格好良いと思います。
 そういう幸せとか爽快さとか格好良さみたいなのを自粛するのが美徳で、素直に語る人間が性格悪いと言われるのって、それもやっぱり歪だなあと思います。