一人用RPGにおいて、「物語」や「映像」は適切なご褒美として有効か?

 下記に、(主に一人でプレイするゲームの)ゲーム性は、「プレイヤーの行為に応じて、適切なご褒美が返ってくること」という記述があり、ぼくも大いに同意しています。

「ゲーム性」という言葉について自分なりの考えを語りたい|見城こうじ

RPGにおける「適切なご褒美」

 ぼくも以前に、ドラクエ3における「適切なご褒美」は、レベルアップなど手間暇をかけることで「プレイが楽になる」という仮説を下記に書いています。

ドラゴンクエスト3のゲーム性で思うこと | Office NaKao

 この「プレイが楽になる」は恐らく今でも多くのRPGで機能していると思いますが、ある時期からぼくは多くのRPGで「プレイが楽になる」よりも、「物語の続きを知りたい」とか「ムービーシーンが見たい」をご褒美に没頭するようになります。

通常バトルが楽になるが「ご褒美」でなくなった『ファイナルファンタジーIV』

 その流れを大きく加速させたのが、『ファイナルファンタジーIV』で、ほぼノーリスクで敵から逃げられるようになります。
 手間暇かけてキャラクターを強化することで、通常バトルで楽が出来るという「ご褒美」がなくなり、ボス戦のみに集約されることになります。
…そもそも、パーティメンバーをいくら強化しても、物語の進行で頻繁にメンバーが入れ替わります。

 一方で進行がレベルアップなど強化時間が基準だったのが、物語基準となり「物語の続きが見られる」ことが明確な「ご褒美」となりました。

【FFピクセルリマスター】『ファイナルファンタジーIV』プロモーショントレーラー

 そして『ファイナルファンタジーVII』以降では、物語に加えて、当時新鮮だった3DCGによる召喚獣のムービーやストーリームービーが、「ご褒美」に加わります。

ファイナルファンタジーVII(PS)PV

 これ以降、ゲームはメジャーな娯楽と評価されるようになったと感じています。
…そして、残念ながら、ぼくのゲームのリアルタイムの体験は、この頃(’90年代終盤)から仕事の兼ね合いなどからとぎれてしまい、再会したのは2022年以降となります。

現在は「物語」や「映像」がご褒美にするのが難しい

 そんなぼくがゲームを再開して『ファイナルファンタジーVII』のリメイク、『FINAL FANTASY VII REMAKE INTERGRADE』をプレイした際には、「物語」や「映像」をご褒美にするのが難しいと強く感じました。
FINAL FANTASY VII REMAKE INTERGRADE – Final Trailer

 ムービーシーン以外にもゲーム内は常に美麗で動きもあり、「映像」は「ご褒美」ではなく常にあって当然のものとなっていました。
 そして、そんな美麗で緻密でリアリティあるビジュアルの中でキャラクターを操作していると、行動が強要されたりパーティメンバーが入れ替わったり、使用できなくなる「物語」展開には、むしろ束縛めいたものを強く覚えてしまいます。

 そんな、事情を考えると、改めてドラクエ3にあった、レベルアップなど手間暇をかける「行為」で、通常バトルを中心にプレイが楽になるという昔ながら「ご褒美」が新鮮かもしれないと感じました。