ドナーとしての物言いが悪かったなと

 ぼくは以前に骨髄バンクのドナーを経験したのですが、他人に感想を語る際に、随分茶化して苦労話っぽく言っていたなと思いました。
 もちろん、家族など近しい人には患者さんから頂いた手紙を見せたり、人の命に貢献出来る事の感動を語りはしましたが、それはごく一部の人に対してで多くの人には、茶化したり大変だった事をわざわざ見つけて語っていたなと思います。

 理由は人をしんみりさせてしまうから、語るぼく自身が冷静さを失い見苦しいであろうと思うから、自慢話ぽく聞こえてしまうから、あるいはドナー登録を強制しているように受け取られることへ心配などがあったのではないかなと思います。
 …まあ、この辺は「本当に感動したことを人に伝えるのに壁がある問題」とでもラベリングして棚上しておくとして、今回記事にしたいのは、そういう本当の感動を茶化して苦労話にすることの代償です。

 最近骨髄バンク関係の方とお話する機会があり、代償のいくつかを知りました。一番悲しかったのが、患者さんがドナーに対して迷惑や苦労をかけたと申し訳なく思っているという事でした。
 実際ぼくにとってドナーの経験がどういうものであったかというと、人生で最高の感動を受けた瞬間で、患者さんから頂いた手紙を読んだときは、言葉で表現することの出来ない感情でボロボロと泣いていました。…まさに、こっちこそ感謝の気持でいっぱいでした。

 ドナーにこういう気持を期待するのは骨髄バンクや医療関係の方には許されないでしょうし、ドナー登録者にとっても重いものであることは分かります。
ですがドナーの感謝や感動が無いものとして扱われ、結果、患者さんに申し訳ない気持だけが残るというのは本当に悲しい事だと思いました。