1984読みました

 イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説1984を読みました。

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 あらすじはWikipediaにお任せしますが、1998年「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」に選出、 2002年「史上最高の文学100」に選出という、文学としても高い評価を得ている由緒正しい作品です。

1984年 (小説)

 作中では、一党独裁国家の統制と監視の下、市民は思想や言語から性生活に至るまで、あらゆる人間性を管理されている社会を描いたことから、「情報発信の自由度」を謳う、報道やネットのあり方などでよく引用されているように思います。

『1984年』の監視社会から読み解く情報発信の自由度 (1/4)

 ぼくの様なにわかSF好きにとっても、「統制社会によるディストピアを描いた作品」というと、引用した色んな作品が連想出来ますが、にわかには色々厳しい作品です。
 作中では、不自由な社会を徹底的に描く事で自由の大切さと愛おしさを明確にしているのですが、それ以上にそんな大切で愛おしい自由を手放してしまう肉体的苦痛を与える暴力(作中では拷問)の生々しい描写によって、自由の儚さが描かれていると感じました。
…いや儚いなどと軽く書いたけれど、延々と続く拷問描写を読んでいると、正直「なんかもう仕方無い」って気分に本気でなります。
 そして何よりも、そんな自由を脅かすものが「権力を求める」という人間の本能であるという救いの無さがこの作品の怖いところだと思いました。