誰でも良い

 以前に見たお芝居、クロムモリブデン「血が出て幸せ」で、「優しくしてくれるなら誰でも良い(誰とでもつきあう)という恋愛依存的発想は、殺せるなら誰でも良いという通り魔的発想と、相手は誰でも良いという点で似ている」というようなセリフがありなんか気になってます。
 この場合の誰でも良いというのは、(替わりが居るので)深い関心を向けなくても良い人という意味かなと思いました。
好意も殺意も他人への関心がきっかけで生まれるのに関心のない相手にそれをぶつけるのは不思議ですが、その理由の一つは、自分自身への関心が強くなりすぎているからではないかと思います。一人一人が考えを持ちながら群れで生きる人間には、内面でする会話=思考と、他人とする会話の二種類があると思います。
 「誰でも良い」という言葉は、そんな思考だけに目を向けて他人の同意を作る事を避ける発想を象徴しているように感じます。
 同意が作れず異性とつきあえない。同意を作る事に反発して「殺させて欲しい」というおよそ同意が作れない事が分かり切っている事を強行する…そんな流れがあるのかなと思いました。
 「血が出て幸せ」でも通り魔犯が、意味不明の犯行動機を語るシーンがありましたが、同意を得る事に反発した行動は、絶対に理解(同意)させないという強い意図があるんだろうなあと強く感じました。