ラピュタのバルスで思うこと

 テレビで『天空の城ラピュタ』が放送されると、「バルス」の瞬間で一斉に2ちゃんねるやTwitterに「バルス」と書き込むのが定例化しています。
ぼくもあのシーンは大好きで、ラピュタの力で独裁者になろうとしている悪役ムスカをシータとパズーが打ち倒すシーンと考えると、思わずツイートもしたくなります。
 一方でバルス後に空へと登り続けるラピュタの残骸と飛行石を観ると、ラピュタに生息していた動植物はこのあとどうなるのかなあという不安な気持ちになります。
 子供の頃は不安の反動の願望もあってか、狐リスみたいな生き物達はその後も元気にやっているに違いないと強く思い込んでいましたが、大人になってからは「特に意識しないけれど、強いて考えるならそりゃあ滅びているだろう」と感じています。
 大人になって殺伐とした考えをするようになったというのもありますが、「バルス」が滅びの呪いである以上、穏やかに生きる人(ロボット)や国土の生き物や自然も巻き添えにするという覚悟がないと落とし前がつかないし、パズーの「ぼくも一緒に言う」だったり「おばさん達の縄は切ったよ」というのはその覚悟を現す言葉だったと思います。
 ということで次にラピュタが地上波で流されて「バルス」とツイートする機会があったら、「ラピュタ中の生物全部を巻き添えにする」という罪悪感を楽しんでみることをオススメします。