しゃべりで一目置かれる人になりたいなあ

 自分が話す言葉を振り返ると、何処がダメかを書き出すと落ち込むくらいにダメダメで、どうにかしたいなあと思っているのですが、まずは「自分の言葉を相手がしっかり聞いてくれている」という意識を持って言葉を選ぶからはじめ、どうせなら欲張って「しゃべりで一目置かれる人になる」を意識したいなあと思いました。

 ダメな話でも支離滅裂でろれつも回ってない酔っ払いながらの時間でも、昔はただ時間を共有していれば満足出来ていたし、今でもその瞬間のぼくの楽しさは変わらないのですが、翌日になって振り返ってみるとなんか酷く落ち込みます。
 相手がどう思っているかは怖くて聞けないし、勇気を振り絞り恐る恐る聞いても大人な友人達は許した風にスルーしてくれたりもするので、気にしなくても良いかなあとも思っていたのですが、歳を重ねるごとに内心の「こんな話では一緒に過ごした人に嫌われてしまったのでは」という不安が大きくなり、そろそろ手を打たないと病むぞってレベルにまで来ています。

 そして手を打つべく、まずは話がダメな理由をあれこれ考えたり、ぼくと似たぼくの嫌いなしゃべり方をする人を分析していて一つ見つけたのが、「自分の言葉を相手がしっかり聞いて、そこから何かを考える可能性」を想定する意識の乏しさから来るのかなと思いました。
 根本にあるのは「どうせ自分の話なんて誰も聞いてない」「なんの影響も与えない」という諦めなのですが、「じゃあ黙っとこう」とはいかず、「どうせ聞いてないなら、こっちも好きなこと言ってスカッとしよう」となってしまうようです。

 ちょっと混ぜっ返すと、丁寧に調べれば人は人の話を聞いていないし、ましてや酒の席ではほぼ覚えてなかったりするので、この考えは自意識過剰だったりもします。
また人は全般的に失敗の記憶に縛られ過ぎる傾向になり意識しすぎないことも大切だったりもします。

 ただ、自分が話したこと、特に失言の類いはビックリするくらいしっかり覚えていて、それを思い出して自己評価するときには、「相手がしっかり聞いてそれに影響を受けて考えれば、どういう感覚に至るだろうか」まで考えて自分を責めます。
ということを思うと実際誰も聞いてなかったとしても、自分の精神衛生上のためだけにも自分の言葉を客観的に整える事は大切だなと思いました。

 そして、客観的に整えるのなら聞いてくれた人に何かしらの影響を与え、一目置かれる人「しゃべりで一目置かれる人になる」までゴールを引き上げた方が楽しいだろうなあと感じました。