考察を難しくノイズ

作品考察をする上で悩ましいのが、作者の意図と、登場人物の意図がごっちゃになった時です。
映画評論などでは別作品で描かれた作者の意図を継ぎあわせることで、その作品だけからでは分からない部分を紹介することが重要とされていますが(その天才が淀川長治さんだったそうな)、これがぼくのような素人が寄せ集めたものだと混乱してしまいます。
特に物語の登場人物に「観客にも秘密の計画」があり基本的にはその通りに物語が進むけど、その計画全体の出来と比べると明らかにお粗末な穴があるように見える時など、
「この穴はあえて隙をみせる秘密の計画の一端なのか、秘密の計画が崩れる物語を描きたい作者の意図から計画者がミスって作った穴なのか、作者も気づいてない(放置している)穴のどれなんだろうか?」
となってきます。
もちろん世に出る作品の多くは、観る側よりも圧倒的に長い時間を使って作る側が観て(チェックして)おり、作者のミスはなく(あってもどこかで辻褄が合わされる)、不自然な伏線は作者によるものではなく物語の何かによるものであるのですが、一度コレを疑い出すと物凄いノイズになり考察が止まってしまいます。
…というか考察に疲れると逃避としてついそっちに流れしまうようで、まあこの癖のせいで感動の不意打ちを食らったり、犯人の証拠を見落としたり(もちろん物語の中の)してしまうので、ここは作品を信じていきたいです。
その辺、多くの名作(作者のミスの無い全ての辻褄があった作品)に触れて、疑わずに物語に没頭する習慣を付けておくと良いんだろうなあと思いました。