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週刊少年マガジン12号に掲載された、大今良時による「聲の形」(リメイク版)が面白かったです。
聴覚に障害のある「西宮硝子」をきっかけに始まるクラスのいじめを描いた作品で、2008年の第80回週刊少年マガジン新人漫画賞に入選しながら内容の際どさから掲載が見送られるも、同作者のコミカライズ作品マルドゥック・スクランブルのヒットを受けて、別冊少年マガジン2011年2月号にオリジナル版が掲載され、さらに今回、週刊少年マガジンにリメイク版が掲載されたのだそうな。
…などという背景を聞くとあれこれ深読みしてしまい、とりわけオリジナル版とリメイク版の違いは興味深いのですが、まあそういう場外の話題はあんまり気にせず素直に読めば普通におもしろい作品だと思いました。
この作品に出てくる、教師であったりクラスメイトだったりのクズっぷりはとても分かりやすいのですが、「あいつが腹立たしい」と読むより、人間は集団になると必ず異端児を作ってそいつをいじめる…それは大人であっても、まじめな子であっても、やんちゃな子であっても、別の異端児でさえ変わらないと読んだ方がグサグサと来るし、いじめ問題の本質により近いと感じます。
人間は本能的に人をいじめたくなり、障害のある人は「ただ誰かをいじめたかった」人から、後付けの理由で「障害があるからいじめた」と言われてしまうのは、悲しくて腹立たしいけれどよくあるなのだなと気が重くなりました。
一方で人は、とんでもなく偉大でもあり、またふとしたきっかけで人のことを愛おしいと思えるものだと思います。
硝子が石田を影で助けようとしていた描写は人の残酷さを知るほど、そこに流されない素晴らしさが際立ち、「あんな人がいじめられるのは悲しいな」という気持にされます。
石田はそのことにその時は気づけませんが、それでも硝子と彼がとっつかみあいのケンカをするシーンは、言葉に出来ない鬱憤をぶつけ合って晴らす、遠い昔にはあったというコミュニケーションとしての暴力で、ケンカの最中に硝子が笑っているようにも見えるコマが凄く好きでした。
そんな描写を通じて、いじめを無くすなんて事は言えないけれど、か弱くすぐにいじめられてしまう人がいじめられずに幸せであって欲しいな…という気持にさせられ、物語のラストはそうなるかも知れないなという希望と、絶対そうするという意志を感じ、とても面白かったです。